モノ扱いされる世の中の悲しみ

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こんにちは~!
心理の世界から、
才能が輝く人生へナビゲートする

マインドタイプのもっちこと望月です。

この現代社会において、ウツになる人が多いのですが、

その原因としてとても危惧していることがあります。

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哲学者マルティン・ブーバーは

『世界は人間の二重の態度において、二重なのである』と言いました。
その二重の態度とは

『我=汝(なんじ)』という態度と

『我=それ』という態度です。

どちらの態度になるかによって、

全く異なる世界を生み出すということをブーバーは言っています。

『汝』とは、人として接する態度のことで、

『それ』とは、モノとしての態度のことです。

ブーバーは、相手を人として見るのか、モノとして見るのかによって、
自分も同じように規定されてしまうと言います。

例えば、
ぬいぐるみを『我=それ』と見ている場合。

それは単なるモノでしかありませんが、

『我=汝(人)』という態度になるほど、
簡単に捨てることが出来ない、大切なものになります。

そこには、とても深い人間性があります。

 

もし、会社で上司から怒られた場合、

その上司が、自分のことを人として叱っているのか、

会社業務の一部としての『機能不全』として見ているのかで、
自分自身が『人』なのか『モノ』なのかが規定されてしまいます。

 

これは、一方が『モノ』的な見方をしたら、

お互いが『モノ』的な場になってしまうとブーバーは考えました。

自分自身が、会社を給料をくれる場としての『モノ』として見ていて、

その会社の役割として上司を見た場合、

『我=それ(モノ)』としての場が設定されてしまいます。

それが、逆に自分もモノ扱いされてしまう原因かもしれません。

 

もちろん、会社が最初から『部品』的な見方をしているのなら、

私達は『モノ』として扱われますから、

会社への感覚もモノ的になっていきます。

そこには、人間性を奪われている悲しさがあります。

『モノ』的にみられ、更に欠陥品的な見方をされることは、

とても大きな精神の破壊作用があります。

 

これだけ、モノに溢れた時代です。

簡単にモノを捨てることに慣れてしまった時代。

戦後、モノが無い時代を生き、
たった一枚の布切れでも丁寧に扱っていた、
ばあちゃんの姿がなぜか今日は浮かびました。

 

もうずいぶん前に亡くなったばあちゃんですが、

よく買ったものに日付を書いていました。
家にあった家具や、冷蔵庫や掃除機など
大きめのものには必ず日付が書いてあったんですね。

それは、このモノがウチに『嫁入りした日を忘れない』というような
想いがあったのかなと、ふと思いました。
『我=それ(モノ)』ではなく、

『我=汝(ひと)』として、ひとつひとつ大切に使っていたのでしょう。

そういった意味で、
ばあちゃんは、人間性に溢れていた世界にいたんだと思います。

 

昔の人や日本の伝統文化は、
太陽に感謝し、人に感謝し、様々なものに感謝するという

ともて人間性に満ちた習慣がありました。

それが薄れてきた時代・・

モノへの思い入れや、

人を機能や役割ではなく、大切な一人の人として見ることで、

逆に、自分もそう設定されてくるということを
ブーバーとばあちゃんから教わったような朝でした。

 

「人間的に扱われない・・」と嘆く前に

逆に自分が「人間的に見ているのか?」と問う視点も
必要なのかもしれませんね。

それでは本日も、お読みいただきまして

ありがとうございました。

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