祈りという心理学

この記事は3分で読めます

こんにちは!

マインドタイプの望月です。

本日は
『祈りという心理学』
というテーマでお送りします。

——————————-
●心の解剖学
——————————-

人は日々何かしら願っています。

「今日、晴れたらいいな~」
「あの人に振り向いてもらえないかな~」
「こうなれたらいいな~」

と、日々ちょっとしたことを願っています。

この願う心(願望)は、
『欲』なのか『希望』なのか、、

ライオンなどの動物として考えた時、
食欲はありますが、
今日は晴れたらいいなーと希望を持つことはあるのか・・・

ここには、『時間軸』というものが存在します。

欲は、今すぐのことで刹那的です。

ですが、希望には、『未来』という時間軸が含まれてきます。

今に軸足を置くと、
『お腹が減った→食べる』
『満たされていない→満たす』
という能動的な行動になります。

一方、未来への希望は、
『なんとなく、そうなったらいいな~』と思いを馳せている状態です。

希望という言葉は、一見聞こえがいいのですが、
現実とのつながりが希薄です。
ぼんやりと思うことは、待ちの状態で受動的です。

ですが、この『希望』と『欲』が組み合わさった時、
未来に向けての行動力に備わっていきます。

『現実の満たされなさ→未来への希望』という
連続して繋がった構図ですね。

そして、この状態でなお行動に移さないでいると、
心はモヤモヤしてきます。

その状態のままでは、満たされない人生を歩むことになります。

行動に移すことで、
欲と希望からなる『願い』は、『祈り』に変化します。

例えば家族が病気で、あとはお医者さんに任せるしかないような時、
人は祈ることでしょう。

僕は、願う心の最終形態は『祈り』になると見ています。

人間は、“宗教的な生き物”だと言われますが、
これは神様を信じるという表面的な宗教ということではありません。

まさに『人事を尽くして天命を待つ』というような、
「自分はできる限りのことをした、
あとは、自分を超えたもの(医者であり、全体であり、神であり)に、
祈ることしか、もうやれることがない状態です。

その最後の最後までやることができる『行動』が祈りです。

心の行動として、祈ることだけはずっとできます。

これは、人間にとって自然な行動です。

で、その祈りを届ける『対象』を何にするのかで、
宗教が生まれます。

僕は、特定の神様なんてどうでもいいと思ってますし、
その祈る対象が、山や海や綺麗な天然石や、大好きなフィギュアでも
なんでも良いと思ってます。

ですが、その対象に対して、
『畏敬の念』というような、尊敬と親しみ、そして託せる心を届けられる
『より大なるもの』と認識できているものでなければなりません。

だから、マインドタイプ心理学のカウンセラークラスでは
『神の再定義』ということもやっています。
カウンセラーが、その場を離れた後できることは、
まさに相手の未来を祈ることしかできませんからね。

まとめると、、

日々抱く願望には、
欲と希望という時間軸の差があるものが入り混じり、

『満たされていない現実→未来への希望』と
繋がった時、人生として行動する方向が生まれます。

その行動の最終形態が、『祈り』です。

ですから、何も行動しないのに、
百円玉を賽銭箱に投げ込んで、『神様お願い!』というのは、
本当の意味での『祈り』ではなく、希望の状態だということです。

だから、神社の神様は聞き返します。
「希望はわかりました。で、何をしますか?することには力を貸しますよ。」と。

それが、頑張ってやってきてあとは祈るだけという時に、
本当に“不思議な縁”というしかない幸運を運んでくれます。

まーここまでくると、証明のしようがない話ですが、
『祈り』まで行き着けるかどうかが大切だと思うんですね。
(^^)

本日は、『祈りという心理学』
ということで、
願う心を解説してみました。

日々、祈れる状態にまで、持っていきたいですね。

“祈りは宗教を行動に表したものだ。
つまり、祈りこそ真の宗教である。”
(ウィリアム・ジェームズ:心理学者)

↓今、未来に向けて動きたくなったら♪

ー・ー・ー・ー・ー

■『こころの保健室』

生きたい人生を進むために、
進まない停滞感を吹っ飛ばせ!

転んでも大丈夫!心の悩みはこちらで↓

https://mind-type.com/wp/emi01/
ー・ー・ー・ー・ー

お読みいただきましてありがとうございました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最近の投稿