自分とはどこまでが自分か?

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こんにちは!

マインドタイプの望月です。

本日は、
『自分とはどこまでが自分か?』
というテーマでお送りします。

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●捉え方
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自分って一体どこまでのことを言うのか?

少し哲学的な問いではありますが、

一般的に感じるのは、
肉体までが自分ということではないでしょうか?

体を覆う服は自分ではなく、
素肌の範囲までを自分という認識だと思います。

でも、『体はこの世での乗り物』と表現されることが
ありますよね。

体も自分が意識的に動かしているわけではなく、
心臓も内臓も勝手に動いて、
細胞はどんどん新陳代謝を繰り返し、老化していきます。

勝手に動いている体は、はたして自分なのか?

と、まーこんな感じで考えていくと、
哲学者のデカルトが到達した言葉
『我思うゆえに我あり』という、

こう考えている自分は、確かに自分という

『この考えている意識だけが自分』という、
こんなところにまで行き着いてしまいます。

一方で、例えばテニスプレーヤーが
ラケットを手の延長のように感じたり、

競馬の騎手やF1レーサーが
『人馬一体』という言葉で表すように、
他のものと自分が一体になる感覚もあります。

これは意識の範囲で見た場合、

『考えている自分』という極小の範囲と、
『一体を感じる自分』という体を超えた範囲にまで

自分という存在を自由に拡張できることを
感じます。

もちろん体感としては素肌までが自分というのが
リアルなところですし、
それが共通認識ですが、

意識の範囲は拡張が可能だということになると、

持っているものや、やっていることもまさに自分で、
だからこそ、どういうことが自分らしいかが
問われてきます。

さらに拡大すれば、社会も世界も自分の意識に入るし、

そうした時に自分が心地よくないと感じることを、
よりよくするために取り組むことが、ライフワークになるとも言えますね。

身の回りのものも自分だとすると、
汚れた何かを見たときにハッとするかもしれませんね。
(^^)

本日は『自分とはどこまでが自分か?』ということで
意識から見る自分について
お送りしました。

はたして、どこまでが自分?

“一人ひとりが自分は何をするかを考える時です。
それぞれができる範囲のことをやればいい。
木を残すことと近所を掃くことは、価値としては同じではないかと思うのです。”
(宮崎駿:アニメーター監督)

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