学問のすゝめが言う不平等の世界とは?!

この記事は2分で読めます

こんにちは!

マインドタイプの望月です。

本日は
『学問のすゝめが言う不平等の世界とは?!』
というテーマでお送りします。

——————————-
●諭吉
——————————-

1万円札の顔として定着した福沢諭吉といえば、

『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』

という言葉が有名ですね。

これは、よく『人は皆平等だ』という意味で説明されます。

上でも下でもなく、横に並んで語り合うようなものです。

その人を尊重し、お互いに思いやりながら
素直に接する事ができれば、人は横並びの関係でいられるでしょう。

ですが、人は上下を作ります。

人はどうしても、“比べる”という行為が必要だからです。

心理学的な言い方をすれば、『差分に反応する』のです。

これは生物学的にも言えることで、
「何か違う、敵がいるかも」と、いつもとの差を認識できないのは
命取りになるので、どうしても『比べて認識する』という作用が動きます。

その比較作用によって、上下認識も出てきてしまうのですね。

そして、実際人はそれぞれ違います。

実は、福沢諭吉も『人は皆平等だ』とは言ってないんですね。

『学問のすゝめ』の冒頭で書いてあるのは、

『「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言えり。』です。

「と言えり=とはいえ」と書いてあるのです。

福沢諭吉が言いたいのは、

『人は皆平等だとよくいうけれど、実際世の中を見れば、
富めるものも、貧しい人もいるし、身分の高い人も、低い人もいる。

でも、学んだ人は評価され認められていく。
ここは平等だよね。だから学んでいこう。』

という趣旨で学問をすゝめているんですね。

学び成長し、ステージを上げていくことは、
誰もが平等に与えられていて、

評価されないのは、ただ力不足なだけなので
より励んでいけばいいという事です。

お金がない、モノが無い、時間が無い、
ない、ない、ない、、と人と比べてばかりいないで、

自分のあるものを使いながら、
自己成長に向かう権利こそが平等です。

この平等に与えられているものを、
使っていくのも、
使わずにいるのも、どちらでもいいというのが人生です。

学び成長し評価される=他者の喜びに貢献できる
これができれば、
それは、大量の諭吉さんにも歓迎されることになるでしょう。

ちなみに、2024年に一万円札が渋沢栄一に変わります。

1984年(昭和59年)以前の一万円札は聖徳太子でした。
聖徳太子の功績としては、『冠位十二階』がありますが、
これは、『優秀な人材は採用される』ということです。

戦後は、とにかく貧しい中から脱するために優秀さに向かいました。

まさに学力社会へ。

そして、バブル末期に福沢諭吉が1万円札となり、
平成から今までのお金の顔となりました。

学問を勧めるけど、やるもやらないも自由。
自分の成長のために学んだ人は評価される。
それが平等。

でも、学んでいるだけで、
自分から何もしないでは、何も起こらない、、ですよね。

だから、次に来るのが『事を起こす』こと。

24年からの渋沢栄一は、近代資本主義の父です。
まさに『事業』を起こす時代です。

もうその兆しは出ていますよね。
若い人ほど、Youtuberの影響で簡単に事を起こしています。

『自分から事を起こす』
それはまさにライフワークの時代です。

だからこそ、今がほんと動き時!
まだ色々ゆるいですからね。

諭吉時代は、勉強ができなくて「やばい、焦る」だったのが、
栄一時代は、ライフワークが見えなくて「やばい、焦る」ということになるでしょう。

ま、そんな時はマインドタイプ心理学へ来ていただければいいのですが~
(^^)/

本日は、『学問のすゝめが言う不平等の世界とは?!』
ということで、

ある意味、不平等(個性的)であることが、
平等に与えられている事なので、

その個性を活かして活躍していく事が
次の時代を見据えた動きになるんじゃない?!
ということでお送りしました。
(^^)

“学問の本趣意は、読書に非ず、精神の働きに在り。”
(福沢諭吉:教育者)

お読みいただきましてありがとうございました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。