主体と客体の心理学

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こんにちは!

2社の法人代表をしている心理哲学者の望月です。

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本日は、
『主体と客体の心理学』
というテーマでお送りします。

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●主客の視点
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例えば、テーブルの上にA地点とB地点を設定した時、

ハムスターがAからBへ移動したことについて
「なぜ、移動したのですか?」と問うと、

「テーブルの上を探索したから、、
餌を探してたから、、
なんとなくそっちに行こうと思ったから、、」
という答え方になると思います。

一方、ボールペンがAからBに移動した時、
「なぜ、移動したのですか?」と問うと、
「テーブルが傾いていたから、
風が吹いたから、誰かが動かしたから、」
という答え方になると思います。

何が言いたいかというと、
ハムスターは、主体(作用するもの)として捉えて、
理由を考えるのに対して、

ボールペンは、客体(作用させられるもの)として捉えます。

ものすごく当たり前の話なのですが、
生物のように動いたり成長したりするものについては
主体的認識をします。

一方、モノについては客体的な認識をします。

ここから、哲学の世界では、主観と客観という二つの視点が
生まれたわけですが、

これを自分に置き換えた時、
客体的に自分を捉えることがあります。

例えば、怒りの感情が出た時、
『あいつのせいでこうなったんだ!』と言って
いつまでもプンプンしていることってあります。

『相手の作用によってこうなった』という客体という認識です。

この状態は、主体を失った『モノ』として自分を見ていることになります。

この、『誰かのせいでこうなった』という感覚が強いと
いつまでも自分の人生が生きられなくなります。

だって、モノですからね。
使えなくなったら捨てるだけのモノでしかありません。

なので、『作用によって、怒りが出た』、は、
客体であり客観として捉え、

その上で、
『で、どうする?』という主体に戻す必要があります。

それが主体的ということになりますね。

いつの間にか自分をモノ扱いしてる事って
本当に多いですからね~
(^^)

本日は、『主体と客体の心理学』というテーマで
お送りしました。

自分の意思で動くことが、主体であり主観になりますが、

その意思が本当に自分の純粋な意思なのか、

誰かにそうさせられている考えなのか、

ここもまた深い議論があるところです。

心は特に複雑で面白い!

それでは、どうぞ本日も
素敵な一日をお過ごしくださいませ~!

“客観的な意志と主観的な意志は、
その後調和し、同一で同質の全体を提示する。”
(ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル:哲学者)

お読みいただきまして
ありがとうございました。

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